朝日新聞「中央線の詩」沿線風景

2006年1月17日~3月18日 全60回に渡り連載されました.。 私、外波山文明の新宿上京(20歳)して芝居始めた頃から新宿ゴールデン街「クラクラ」開店・・・たこちゃんの話など 記事になっています。時間有りましたら読んでください。
但し、記事著作権は朝日新聞にあります。無断転載、転用、は硬く禁じます。 このネット転載も問題あるかと思われます。あくまで個人記事ということでお許し下さい。

まだテレビも無い時代。 ラジオから流れる歌謡曲に東京を感じ、ヒーローは川上、水原、栃錦、若乃花・・・・・ 街頭テレビかお金持ちの家にテレビが入り、力道山のレスリングを何十人もの人垣つくり外で見た時代。昭和。

この記事読んだ小学校の時の恩師から手紙を頂く。 小5年の時の学芸会「杜子春」 の舞台が昨日のように蘇ると・・・

横浜に就職して「中川安」という薬問屋・・・平沼橋の寮に住み、毎日横須賀、磯子方面にバイクでセールスしていた。 サボって三浦半島の海で遊んだのが懐かしい・・・ 看護婦に恋をしたことも・・・・

木曽に居た頃は青年団に入って、といっても毎晩飲んでいるだけ・・・・日本酒一升近く飲んでいた。金隠し枕に寝たことも何度か・・・・

世田谷赤堤のお百姓さんというか大きなお庭のある家の離れがアパート2畳の部屋。日当たりは良かった。 長門裕之の家眺めながら黒澤明の「天国と地獄」だ・・・ と呟いていたあの頃・・・

「変身」のキッカケは堀内博さん。今は松本で新しく出来た劇場の管理運営をしている。去年ひとり芝居「四畳半襖の下張り」でお世話になる。 当時の変身の先輩達・・・ 長坂蜂郎さん、波多野克典さんらお世話になりました。

入団してきた若い子は全部先輩に持っていかれ、一人寂しい思いした事も・・・・

新宿西口しょんべん横丁の鯨カツ定食80円。 珈琲一杯80円。 当時は喫茶店なんて入った事が無かった。もし先輩と入ってもスパゲッティーかカレーライス。 一食分にして腹を満たしていた。

代々木の変身の小屋 2階の照明ブースに良く寝てた。暗幕を布団代わりにして・・・・ 当時私の担当は照明。立木定彦さんがプランナー。よくペンチが飛んできた。 でも何年か前お会いしたら覚えていてくれた。息子さんにもお会いした。懐かしい。

18歳未満お断りの映画も顔パスで見ていた。が高校の先生に見つかり叱られたことも。 一人で上高地へ上った事もあった。 みつかり3日間校長室で反省文書かされた・・・・
西口のキクヤが常連の飲み屋だった。成子坂の青林堂というお菓子やの2階のアパート。まだ汲み取りだった。道路拡張の予定があり、それまでは・・・と直してくれなかった。今では立派なビルになっている。